Collection of essays – 黒澤琢弥

黒澤さん写真
自分と山路が直接深く知り合ったのは、1999年にお互いTOM’Sへ移籍してからでした。
彼はGT300クラスから・・自分は、ニスモ・インパルからの出戻りで・・・
元々、TOM’Sからレースをスタートし、その後独立してホンダ、日産、そしてまたトヨタTOM’Sと、「実家」に戻った自分と、
初めてGT500、ワークス体制に移籍してきた山路とは、そのフレッシュ差(笑)が違いました。
まぁ〜・・いつどこでも言いたい事を言える自分と、TOM’SというBIG TEAMに入って来た山路とでは、「在校生と転校生」ぐらいの差がありましたね。
TOM’Sは未だにレース等、遠征ではオーナー&監督、そしてドライバー皆んなで楽しく食事をするんですが・・・
「初めのうち」は、会話でも「ボソボソ・・」と比較的、紳士的に静かにものを言っていましたが、
慣れてくるにしたがい「本領発揮」、説教の山ちゃんが登場です。
まぁ〜・・説教と言っても、さすがに目上の方、キャリアの上の人には、「物事を具体的に指摘」してきます。
以外に?!博学で、後に富士スピードウェイの競技長という仕事に推薦される、責任感の強い男でした。
ただ、TEAMの面々が集まった際には、車・レースの話は2〜30%、後は好きなゴルフのシャフトの銘柄について・・特製について・・スイングについて・・
あなた?職業は?・・何?という程、まぁ〜能書き・説明・説得・(ここに年下が入ると説教になる・・)が、「好き」なんでしょう〜ね〜。(笑)
大抵、落とせない関谷さんですら「まぁ〜・・山路がいうから、そう〜なんだろう〜な!」、と、こうなる。(笑)
そして自分は、山路に説教が始まる様〜に、持って行って、そして少し離れて見てるのが大好きでしたね。

彼の病気が分かった後も、ちょっと調子が良い時には良く一緒にゴルフに出掛けました。
どう〜考えても自分より調子悪いのに、俺より飛ばす。 そして振り返って「こんなもんじゃないですかね〜っ」って、まんまと誘導されて力んで自分は林の中・・・。
レーシングドライバーは、飛ばす事に対して、異常に反応する。 どう〜考えたって20cmぐらい身長差があるんだから、山路有利じゃん!・・
いつもたわいもない会話が多いけど、特に山路と自分はラウンド中、ずっと喋ってましたね! キャディーさんは腹抱えて「本当は仲悪いの??」とか聞かれたり。
自分と自然の中にいる時、病気の話は意味がない・・と、思ってました。

やっぱり縁が少しは深いのか?
山路が最後にポルシェ・カップRACEに出場する事になり、しかもただドライバーとしてだけ走る訳ではなくて、
今やスーパーGTにまで上り詰めましたが、ポルシェセンター世田谷、エクセレンス・レーシングTEAMとして、
いちポルシェ・ディーラーが、レーシングTEAMを作る、参戦するという大きな課題で、それはメカニック一人一人に対しても、普段の作業とは全く別のクオリティー、
そこに速さと確実さ、データ集めから細かい管理まで、そこを教育しながら同時にレースも戦う。
ご縁で自分が監督に・・・。 開幕前のTEST走行では、もう〜コントの様なシーンばかり。(笑)
山路と自分の無線の最初の会話が・・山路「たくやさ〜ん、真っ直ぐ走らないんですけど・・・」自分「ハイ。分かります、直ぐPIT帰って」。(笑)
あ、その前にPITから出る時に・・「無理しないで、真っ直ぐ走らなかったら、直ぐ!直ぐ!戻ってねっ」って言ってましたけどね。
でも・・
その僅か、1ヶ月ちょいで、岡山開幕戦。 土曜日の第1戦2位、そして日曜日の第2戦では、平川選手をズバッっとパッシングして見事に優勝!
自分も、凄く感動しました。 本当は泣いちゃいました。 多分、山路は体調凄く悪かったと思う。 でもプロだから言わない。 だから自分も聞かない。
山路の最後の優勝は、ポルシェ・カップのこの年、2012年が最後だったと思います。

自分と居る時には、なるべく笑っていて欲しかった。 病は気から・・っていうしね。 落ち込んだり、暗い感じ出しても意味ないし。
山路と自分は全く違うと思うけど、なんていうの?凸と凹?!
一緒に仕事やゴルフをしてると、なかなか波長が合う事が多かった。
もっと色んな事を一緒に出来たと思うけど。
山路との一つの縁が、またご縁を運んで来るだろうし、そのスピリットは誰かを通じてご縁の輪がまだまだ続いて行くでしょう〜。
そちらの世界には、先輩が多いだろうから・・・好きな説教もしにくいだろうけど!
こちらでは山路スピリットは、ちゃんと受け継がれて行くと思います。

縁がある人を「ソウルメイト」というらしい。
ソウルメイトはまた会える様になってるらしいから! またいずれどこかで出会うでしょう!! ね。

黒澤琢弥