Collection of essays – 堀守之

はじめまして。富士スピードウェイで山路さんの後、競技長をさせて頂いております、堀 守之と申します。
私は、山路さんが競技長をされていた2年間、副競技長として隣の席でいました。レーサーとして、各レースに参加されていた時から、お顔、お名前は知っておりましたが、お話などはしたことはありませんでした。
競技長として来られた時は、すこし緊張しましたが、あの山路スマイルで、話しかけて頂き、すぐにこちらも緊張がほぐれ、普通にお話ができるようになりました。
また、レース中の違反や、事故の検証もオフィシャルサイドの見方だけでなく、ドライバーサイドからの見方もして頂き、ある時はきびしく、ある時はやさしく、私にとっても、若いドライバー達にとってもすごく勉強になったと思います。
私が、山路さんの病気のことを知ったのは、一年目のシーズンの半ばごろだったと思います。
山路さんは、いつも愛妻弁当を持参でお見えになっていたので、少しからかいぎみに、話をしていたら山路さんから、実はこうなんだと、聞かされびっくりでした。
こんな俺に、妻はよく考えて作ってくれるよ。とすごく奥さんに感謝してみえました。

二年目のシーズン初めに、お会いした時に少し痩せられたかなっと、思いました。体調はどうですかとお聞きしたら、うん、普通だよ。と言ってみえたので、その時は少し安心しました。
8月に、鈴鹿に視察に行った時には、すごく辛そうに見えました。
それからは、お会いするたびに気になって、気になってレース半分みたいでした。
まだまだ、教えて頂きたいことが、いっぱいあったのに、残念でしかたありません。
競技長として、まだまだ未熟な私ですが、山路さんの二年間を早く超えられるように、頑張りたいと思います。
山路さん、見ていてくださいね。
ありがとうございました。
ご冥福をお祈り致します。